「ゆるゆる」に甘えていませんか?

2023-06-02 奈佐原 顕郎

 私の授業(「基礎数学」「物理学」など)は, 相談ありで資料見てよい小テストや, 自分のペースでやってよいレポートなど, 多くの部分で「ゆるゆる」にしています。やるべきことを意図的に曖昧にしています。これには理由があります。

 ひとつは不正対策です。プレッシャーが強いと人は不正をしたくなりますから, プレッシャーがあまりかからないようにしているのです。

 ひとつは学びの形骸化の防止です。人は「やるべきこと」をはっきり指定されると, その意味や目的を考えず, 要求を満たすことだけを考えるようになってしまいます。たとえばレポートは模範回答の丸写しになり, 小テストは解法・正解の短期記憶ゲームになるのです。

 ひとつは学生の生活支援です。体力的・精神的にしんどい, 何もできない, ということは人生で起きるものです。本当に大変なことが起きて, 今は勉強なんかやっていられないということもありえるでしょう。そういうときに, はっきりと「やるべきこと」「到達点」「締切」が決まっていたら逃げ場所がありません。また, それらの授業内容が本当に苦手で, 積み上げもできていない人には, 無理な勉強はメンタルを壊してしまう可能性があります。

 そんなこんなで, 意図的に「逃げ道」を作っているのです。教育には「曖昧さ」や「逃げ道」が必要なのです。

 ところが, そこまで困っていたり追い込まれていたりはしていないのに, このゆるゆるに甘えて勉強の熱量を下げ, 停滞してしまう人が生じるのです。たとえば1年生の「基礎数学」では最初は高校数学の復習から入りますが, ずっとそこで留まって, 春学期の中頃になっても高校数III以前の内容(第1~4章あたり)すらあやふやなままの人がいます。「物理学」も, いつまでも「高校で物理やっていないから...」と言い訳して, 中学校で学ぶような基本法則(慣性の法則や作用反作用の法則, エネルギー保存則など)すらあやふやな人がいます。それはさすがに「大学」としてまずいでしょう。いずれの授業も後半になれば高校レベルを大きく超える内容に入るので, 結局そこで脱落してしまいます。

 勉強はある程度の熱量が必要です。丁寧にゆっくりやることは大事ですが, それはのんびりと薄くだらだらやるのとは違います。のんびり薄くだらだらやっていたら, 学んだことが定着する前に忘れてしまって積み上がらず, 成長の実感が無いのでモチベーションが落ちるのです。その結果, 勉強の成果がほとんど無になるのです。

 さらに深刻なことがあります。「逃げ道」の悪影響が見過ごせなくなれば, その逃げ道を塞ぐ必要が出てくるということです。たとえばレポート課題は毎週, 明確に範囲指定され, それの出来ばえが細かくチェックされるようになるのです。そうすると, 本当にその逃げ道が必要な人が困ってしまうのです。それだけでなく, 進んだ学生は既に習得済みの内容を再度やらねばならなくなって, 自発的な学びが妨げられます。教員も出題やチェックの労力的負担が増え, 授業に投じるエネルギーが下がって, 質が落ちます。

 生物資源学類の特徴は多様性です。多様性とはメンバーがそれぞれ違った長所・短所, 得意・不得意を抱えているということですから, 多様性を許容するには「ゆるゆる」である必要があるのです。しかしそれには学生の自発性が必要なのです。ゆるゆるに甘えて停滞する人ばかりなら, 教育レベル・研究レベルが落ちかねません。

 私は資源のこの多様でゆるゆるな文化が続いていって欲しいのです。だからこそ, 「資源はゆるゆるだからレベルが低い」とは思われたくないのです。だから授業ではできる限りわかりやすく丁寧に教えたいと思っていますが, レベルを落とそうとは思っていません。皆さんも授業を履修するからには, それなりの意識を持って, それぞれのペースでよいので前進していって頂きたいと思っています。

 ただし, 私はこの文章が, 逃げ道を必要とする人まで追い詰めているのではないかと危惧しながら書いています。人に言われること・言われないことを元に判断するのではなく, 皆さん自身が自分は何をどのように学びたいのか, 自分に向き合って考えて決めることを期待します。