なぜリモートセンシングなのか?

筑波大学農林工学系 西田顕郎 2003年1月13日

 私の研究対象は、衛星リモートセンシング(リモセン)の応用です。より具体的に言えば、衛星リモセンを使って、陸域植生の蒸発散や炭素循環などを研究したり、土砂崩れ・火山噴火・洪水などを調べたりすることと、その方法論の開発です。

 衛星リモセンとは、人工衛星を宇宙空間に打ち上げて、それにカメラとかいろんなセンサーを積んで、地球を観測することです。私はこれまでいろんな研究分野に手を染めてきて、我ながら自分の浮気性に呆れていたのですが、衛星リモセンに出会って私の研究者人生は変わりました。この分野は、はっきり言って、「面白い」です。

 衛星リモセンの面白さの理由は尽きることがありませんが、まず、対象地域の政治体制とかインフラとかにかかわらず、地上のあらゆる場所を平等に観測できるところが素晴らしい(もちろん、衛星センサーは、一握りの技術大国・経済大国にしか作成・運用できませんが、現在では多くの衛星センサーが、事実上、人類全体の共有物としてデータを等しく地上に送りつづけています)。そして、当然ながら、衛星から送られてきた画像には、国境線など写っていないのです。

 これはどういうことかというと、たとえば火山噴火や洪水などで地球の遠く離れたどこかがダメージを受け、その被害状況を知る手段がほかに何も無くても、衛星リモセンだけは機能できる。また、アマゾンの奥地の森林伐採や、山岳・氷床の奥の氷河の変動など、簡単には人が近づけないところで起きる環境変動も、衛星リモセンなら簡単に見える(可能性がある)わけです。

 ところが、現在、地球観測衛星から送られ、保存されるデータは莫大な量になっているにもかかわらず、そのほとんどが有効な解析を施されず、眠っています。これは例えて言うなら、朝日・毎日・読売・日経・サンケイ・地方紙・スポーツ紙など大量に新聞をとっていて、毎日毎日やってくる新聞の束を読みきれない状況であると言えます。しかも、衛星データは光学的な観測データですから、それを我々の興味のある事象に結び付けて有用な情報にするには、解析手法を開発しなければならないのですが、そこに大きな余地があるのです。つまり、新聞のテレビ欄とかスポーツ欄しか読んでいなくて、経済欄とか政治欄を読めていないようなものです。

 ということは、ひとたび、新たな何らかの解析手法、つまり「読み方」を開発できれば、これまで蓄積した衛星データが、宝の山に大化けするわけです。これまで無意味だった記号の羅列に、価値ある情報を見出すことができるのです。これは古代の遺跡を発掘する考古学者や、未知の言語を読み解こうとする言語学者の発見に似た知的興奮をもたらす作業かもしれません。

 一例を挙げましょう。合成開口レーダーの干渉(インターフェロメトリー)という技術があります。ここ10年くらいの新しい衛星リモセンのテクニックです。合成開口レーダーは、マイクロ波を自ら発射し、対象に当て、反射波を検出するという、レーダーの一種ですが、従来はそれを用いても、白黒の濃淡画像しか得られませんでした。しかし、そもそもマイクロ波に限らず、波には強度(振幅)以外に、位相という情報があります。これを有効に拾い上げるには、少しだけ異なった観測条件で得た2つのデータを干渉させればいい、ということに、ある人が気づきました。その人はそのアイデアを、試行錯誤の結果、インターフェロメトリーという全く新しい革新的な観測手法に仕立て上げ、その結果、たとえば断層活動による、わずか数cmの地表面の変位を数10km〜数100kmという広域スケールで把握することが可能になったのです。この技術は凍土地帯の凍上とか、地下水くみ上げによる地盤沈下というような、広い範囲での自然的・人為的な地盤変形を観測可能にしたわけです。

 「リモセンは道具だ」という人がたくさんいます。それはそのとおりです。しかし、もしその言葉が、「道具自体は研究対象になり得ない」という意味で語られるのならば、それは違います。人類の文明の発展は、何がもたらしたのでしょうか?道具ではないでしょうか?レーザーやインターネットが世の中に現れたとき、それらの「道具」としての威力を正しく想像した人はほとんどいませんでしたが、にもかかわらず、人々はこれらの「道具」を進化させ、自分たちの文明をそれに載せて進化させたのです。技術と科学と人間に関する広範な理解に基づいてこそ、「道具」をどのように使うことができるか、もしくは使ってはならないか、という想像力を発揮することができるのです。そういう意味で、まだまだ得体の知れない「衛星リモセン」という新しい道具のポテンシャルを追求することは、価値のある知的探求であると信じています。